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文筆欲求症
僕が、マジック依存症候群と一緒に、長年患っているのが文筆欲求症。一度、自分で文を書く魅力に取り付かれると、マジックと同じくらいそれは精神依存性が強い、非常に恐ろしい症状が現れます。

小さいころからの夢が、小説家マジシャンになりたいという月と鼈並みの夢を語った僕。最近、良い小説にたくさん出会ったので、改めて文章のすごさ、素晴らしさを感じます。←病が潜伏期を過ぎた証です。

映画が、動画を通して世界を表現する芸能を極めるものだとしたら、メイクが色彩とデザインで表情から心情まで表現する美術だとしたら、小説は文だけを通じて世界を表現する芸能です。

映画より、メイクより制約が多い分、そこがまた楽しいものです。思うように行動できないところがまた快感。縛られれば縛られるほど、制約が多いほど…何か表現が危ない方向へ向かっている気がします。

僕が書いているのは、フィクションです。自分の考えるストーリー、人物、場景、感情、色、時間の「情報」が入ったを小説家(文をつなぐ人という意味で)が繋げたとき ―例えうまく繋がらなくても― 結局は何か伝える「文章」になっているような気がします。気、です。まだ気がする、と言うレベルえ終わっています。

少なくとも1年前までは、短編ばかりいくつも書いて、学校で回しました。際どくて(イロんな意味で)、先生に怒られたりして結局中止させられたのが心残りです。今思えば、それの禁断症状がいま現れてるのはないかなぁ、と。

再発のきっかけは何だったかと思えば、それでも欲求はずっとくすぶっていたわけです。最近、小説を短期間で相当呼んだせいでフラッシュバックしたのかもしれないです。そういえば、某巨大掲示板から発生したスレを元に出版されたもので「電車男」があります。それが「ネタじゃないか?」という議論がありますが、ネタだったらここまで構成できて、読者を飽きさせない文を書いてみたいと思ったことと、16歳だった乙一氏のデビュー作「夏と花火と私の死体」、スティーブン・キング氏の「幸運の25セント硬貨」を読んだからだと思います。

自分の文章力、何か高校へ入ってから、特に創作しないようになったせいか、グンと落ちました。高が知れてる元の能力でしたけど、 …やっぱり1年前の受験時まで戻したいです。あの時期は自分でも思えるほど変に「極まった」状態で…。「窮まった」に近いかもしれません。その後今まで何もなかったのは、病が猛威を奮っていてから約1年の潜伏期だったと言うことです。

小説を書いていて、自分の思ったとおりに文がうまく重なれば、それはもう書いていてまったく苦痛がありません。自己満足で小説を書いて完結させるならば、ここで終了してもいいのですが、なぜか自分は「完成品」を人に読んでもらいたい、というはた迷惑な合併症を併発しています。自分の求めるのが「読んでもらいたい」なら、「読める」レベルまで持ち上げなければ、読まされる側になってみれば相当なストレスです。このブログに書いてる文章は特に推敲はしていませんが、数日後読んでみれば支離滅裂・駄文・荒唐無稽だらけです。

まぁ、結局のところ、小説は書いてる本人が一番楽しいのです。推敲して直していくうちに、変に受けを狙ったり、かた過ぎる文章になるのは絶対に嫌なのです。嗚呼、なんて我が侭。自分の思っている、自分が面白いと思うことをすららすら(すらすらではなくて)書けるのが一番です、やっぱり。16歳でデビューして20歳で芥川賞獲った人は忘れて(まぁジャンルが違うんですが)、受け狙いは無しの方向で…。すららすらと受ける文章が書けたら最高なんですが。

文章がやっと完成して、推敲をして、一編が完成した時は、もうこの病の手中に落ちたということ。それを読んでもらって「楽しかった」と言ってもらえるのを至福に感じたら、症状も末期じゃないでしょうか。

でも、プロになったら、この病から回復できる気がします。仕事で割り切れるならば、自然消滅するものじゃないかと。でも、この治療法が成功する可能性は限りなく低いと言われています。
by fanaghan | 2004-12-10 21:14 | 雑記か日記 
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